独り閑話

独り閑話

まずはじめに、個人事業主にすぎない私が多くの方より助けをいただき、開催している当イベントのホームページにおいて、私の権限で発信する事は誠におこがましい事と理解したうえで綴らせていただきます。

私が10代の頃に4ヶ月で「もの作り」を断念し営業職を務め、また「もの作り」の現場に戻り、「もの作り」を通して色々な方とお会いし、今の社会を見て感じたこと、伝えたいこと。

今から数年先、私達の生活環境は大きく変化していきます。

ここ数年その予波(予告になる波)は十分にきており、知感している方もいらっしゃると思います。
そこで「もの作り」で生きていくために直接的、間接的につながっている事をこのページを通じ私の独り閑話として発信します。

文才もなく、くどい内容でお目汚しになる点も多くあるかと思いますが「こんな考えもあるのか」と頭の隅の隅に置いていただければ幸いです。

なぜ閑話をやるのか

私は作り手として生かされ10年ほどになります。
その中で先輩やお世話になった職人、最高の作品を作る作家が何人も廃業するのを見てきました。
自分のやってきた事を活かして何かできないか、間接的にでも何か伝えれることはないのか。

そんな中、最初にできたのが「てづくりサーカス」です。
スタッフとして色々な作り手と出会い、自分も路上販売や手作り市からやってきたこと、話しながら向き合えれば、何か伝えれたり活躍するためのヒントを発見してもらえるのではないかと、そうすれば廃業する作り手が一人でも減るのではと傲慢ですが考えました。

廃業する方は「一時的にやめるだけ」や「貯金を食いつぶすだけになるから」と様々な理由があるとおもいます。
ですが先代の遺恨や自分がこさえた以外の借金等がなければできるだけ頭を柔軟に、視野を広げて健全に運営する手段を考えてください。
今まで作り手として一本で生きてこられたのは誰のおかげなのかをまず第一に考えてください。
休業する場合はせめて再開する時期を明確にして責任をもって挑んでほしいと思います。

…こんな調子なので色々お話しをお伺いした目上の作り手に対しても作品の作りや弱い所を指摘し嫌厭されることもあります。

10年そこそこやっただけのものが偉そうに、と感じられる事もあります。

そうして色々な作り手と接していく中、直接話す方法の他にも作り手のタイミングで、空いた時間に聞いたり見てもらえるものはないかと考えました。

小さい脳を絞った結果「独り閑話」を始めようと思いました。

これからの時代、作り手として一本でやっていく事は容易ではありません。
ですがこの国だからこそ「モノ作りで生きていく」と言うことに大きな可能性があると信じて自分を、作品を磨いてほしいと(自分を含め)伝えたいと思います。

「独り閑話」の内容は一見別物に見えるものもありますが、私がそこに繋がると感じる事として綴っていきたいと思います。

数年後にくる未知の不景気

現在日本の景気は良いといわれています。
30年近く前にあったバブル期の水準まで株価は上がり、世界的にみれば好景気な国と認識され、長く海外にいた日本人が帰国して商売を始めるという話も聞きます。

次に万博の開催地が決まるといわれている11月までは少なくともこの路線で日本はいくんだなと思います。

2020年以降、日本の消費はどうなるのか。
今より冷え込むと思います。
万博が大阪で開催されても株価が上がっても貧富の差は広がると思います。

今のほとんどの会社の給料を払う側の人間はバブルを経験していて弾ける怖さを学んでいます。
リーマンショックや政権交代で訪れた不景気とは違う、大きく理由のない不景気の前の好景気である今、そんな人が健全にお金を使い、従業員に見合った給料を払い、循環することを今しているでしょうか?
好景気を実感できず、ただ不景気を迎える自分たちはいったい何をすればいいのか、どんな備えすればいいのか、よく考える必要があると僕は思います。

今後のテレビの世界

スマートフォンを持っている人が半数を超えネットテレビの人気が高まるなか、家庭用テレビ放送ではドラマは刑事や医療もの、バラエティーはVTR鑑賞が多く、メインチャンネルのテレビショッピングも昔より多くなっています。

春に花見をしながらネットテレビが大手テレビ局を買収するんじゃないかと話していましたが、最近逆の事があり、テレビ業界も生き残りをかけているんだなと感じました。

家庭構図の変化や一人身が増え、テレビの見方も大きく変わってきています。
CM、宣伝する側も広く知ってもらうツールは何なのかを考え
大きく変わわらなければいけない時代なのかもしれません。

画面の向こうの図式がガラッと変わったとき、僕たちはどんなうごきをしているのでしょうか。

ファミリーレストランの変化

日本全国安定の味を届ける大手のファミリーレストランチェーン店。
一時期は色々な世代が訪れるどこにでもあるおいしいお店。
しかし数年前から打ち合わせや昼間の主婦の集まり場の拠点がお洒落なカフェに移り、週末のファミリーデイナーが割安の回転寿司へと流れ、一名様のサラリーマンやドリンクバーのみの学生が幅をきかせてきているファミリーレストラン。

注文をタッチパネルにしたり消耗品の質を見直したり、駐車場を有料にしたり、行くたびに生き残るための努力を感じます。

そのうちドリンクバーの時間制限なんてこともあるのかもしれません。

大手の企業が生き残りを賭けて必死になる時代。
人口が減少していくなかで飽和してしまい値崩れも限界の企業がどううごくのか、僕たちにできることは何か考えたいと思います。

求めたい働き方①

一年ほど前から喫茶店や買い物に行った時、びっくりするような接客を受ける事が多くなったように感じます。

飲食店でお水を出された時にコップの中の何かを指で取って
「お冷です」と渡され、僕が「お水に何か入っていたんですか?」と聞いても「大丈夫です」としか言われなかったり、居酒屋で「お勧めはなんですか?」と聞いても「少々お待ち下さい」と聞きに行ったり「食べたことないんです」と言われたり、服を見に行ってこちらから質問しても何も返ってこず言葉のキャッチボールができない人が多い。

そんな若者に引っ張られてか、最近「こんな働き方でいいんだ」と考え手を抜く上の世代も増えてきたと感じています。

僕も働き始めの頃はめちゃくちゃ怒られましたが、今働いている若い方には「覇気」というか組織に貢献まではいかなくても「この職場でこうなりたい」「自分はこういう働き方をしよう」
「しんどいけどこれのために頑張ろう」「この職場でこれだけは負けない」など、働いている自分に対しての「プライド」や「価値」を見い出せるよう動いている人が多かった。

そこで働いている限りお店の看板を背負っているという事を忘れて仕事をしてはいけない。

仕事ができるようになってからうまく手を抜いたり、楽をしたりすることは次の事をするために大事なことですが、仕事ができないうちから自分ルールで動いて楽をしている姿をお客に見せてはいけない。

求めたい働き方②

片や40代前後の中間管理職の方からは「新人をどう育てればいいのか」「どう接したらいいのかわからない」という話をききます。
僕たちが新人だった頃の15年~20年前はどうだったか。

上司は仕事の後おいしい食事を奢ってくれたり、くだらない話を聞いたり、遊びを教えてくれたり、その上で人同士のコミュニケーションができたり、目標にできる方が少なからずいました。
その頃の上司も同じように育てられてきたという流れがあります。

現在はというと―
上司の給料は減り、出費は増え、仕事あとの食事は割り勘が基本。
昔のように後輩を気軽に誘える環境ではなくなっているところが多く、当然食事に行くか行かないかの選択権は部下に移り、無理に誘うと○○ハラといわれたり。。
加えて家庭内外でのブルーライトホビーが増え、お店に行かなくてもモノが安く買えるようになっています。

給料、お金は基本的に人から払われるもので人からお金をもらえるように動かなければ自分の水準は上がりません。

人からお金をもらうにはまず人を知らなければいけません。
(「人を知る」という事はどういうことか?色々な答えがあると思いますが一度考えてみてください。僕も思う事を綴ったり、皆さんと話し合いたいと思います。)

これまで働く方々が作ってきた人の歴史の流れがあり、そこには時代が変わっても人が営むうえで変えてはいけないものがあります。

「人と向き合う事」そこから逃げてしまうと人のフリをした「何か」になってしまいます。
(それがいいかどうかは個人の考えと言ってしまえばそれまでですが、このまま「何か人間」が増えると日本にとってはよくない事が数年以内に起こると思います。)

恥ずかしい話ですが僕は昔「何か人間」でした。(とてもできの悪いタイプの、、)

そんな僕が10年以上前の真夏に自分で作った手作り感たっぷりの恥ずかしいアクセサリーを販売し、拙い接客で初めて2000円売れた時のお金の重み、暑い中買ってくれた人の気持ちは今も忘れません。

僕もみなさんもおそらく30年後も生きてます。
鏡になるような、自分の見えない所を指摘してくれるような、しんどいけど成長できるような人と多く出会い、琢磨していきましょう。

余談ですが「ゆとり世代」の部下が何かミスをしたり甘い考えをした時に「ゆとり世代だからなー」や「しかたないか、ゆとり世代だし」という言葉は決して言わないでください。
ゆとり教育は、ゆとり世代の方には責任がないと考え、少なくとも自分たちの新人の時と同じ考え接してください。
その下の部下にも影響がでます。

ゆとり世代といわれる方も言葉に囚われず、跳ね除けて自分らしい仕事の仕方を考えてみてください。
今まででなく、これからです。

ストレス耐性

最近20代後半から30代前半くらいの方と話をした時に「仕事でもプライベートでもできるだけストレスを受けずに生きていきたい」という趣旨の言葉を聞きます。
確かに僕もストレスを受けず生きたいと思っています。

しかし昔と今で、「ストレス」というものの度合いが変わっているように感じます。
昔はたくさんバカをやって叱られ、やさしさを求めたり、頑張っていると自分で思っている時には何も評価されず、がむしゃらに働いてふと気付いた時に求めていた以上の位置にいたり、働くという意味を自分なりに理解しストレス耐性をつけてきたように思います。

骨も折れて治れば強くなるし、筋肉も鍛えるには酷使する必要があり、ストレスも同様に感じます。

しかし今では「上司に叱られたから」という理由で辞めるという話もぽつぽつ聞きます。

確かに育てる側の方がうまくコミュニケーションを取れないという場合もあると思いますが、若い内は叱られてナンボで、恥は若いうちにいくらでもかけばいいと思います。
(おじさんの意見で納得いかないことも山のようにあるとおもいますが、、)
そうしていく事でストレスに対しての耐性ができてきます。

今は頭だけが大きく、失敗してもお客様や会社の事も考えず自身の判断で動き自己完結したり、自分では「叱られないようにうまく動いている風」の人が多いように感じます。

昔からそれなりに人との摩擦を避け、叱られずに生きてきた人が社会に出て陥る事が多いように感じます。
(別の理由ですぐ辞めるは昔もあった事ですが、、)

ストレスに耐性がなく叱られた経験やしっかり人と向き合う辛さ、安心感など
生きていくうえで学ぶ人間学を学べず社会に出る様子はとても生き辛く感じます。

学校と社会の違いのひとつは「貢献し利益を得るかどうか」というところです。

学校で生徒はある意味お客様で教師の中には「このままいったらこの生徒は大変だなー」と感じても何も言わない方がいたり、何も言えない環境になってしまっているところもあります。

反対に社会に出れば会社に貢献しお客様をもてなし、給料という利益を得ます。
「働く」という言葉は「傍(はた)を楽にする」という意味で傍は周囲の人と言う意味です。
学生のように「叱られないようにうまく動いている風」では働けないんです。

職場で叱られたり、ストレスを与えてきた相手に反抗期のような対応をする人もいます。
自分で考えた結果、できない事はできない、忘れていたら忘れてました、わからない事はわからないと素直に伝えてみる事がストレス耐性を身につけるはじめの一歩かもしれません。

ストレスにあまり耐性がなく、懸命に働いている方はとても難しいし、しんどい事だとは思いますが、年をとるほどに考えは変えられなくなります。
過去のしがらみを脱し、人間関係をもう一度考え、大人として向き合う覚悟をもって自分のために努めてほしいと思います。

ハイブリッド世代

今から3~5年で働き方は大きく変わります。

早ければ5年後には20代の中から堅実性と能動性を兼ね備えたハイブリッド世代が出始めます。
バブル期の方は直観で能動的に動く方が多く、現代はよくも悪くも堅実で保身的な方が多い。

そんな中、バブルを教科書で学び、堅実な世代を見て育った人が
「自分はこれではいけない」と考えすごい速度で石橋を叩き進む世代が出始めます。

そんなハイブリッドな世代が多く現れ何をするのか楽しみです。

高品質、高価格のお店に求めたい事

2018年秋現在も大手の百貨店などが急に閉店発表をしたり、ハイブランドが買収されたり、高品質、高価格なブランドや取扱店舗の経営が厳しくなっています。
これからこの波は一層激しくなると思います。

そういったお店が生き残りをかけ、熟考していると思います。
僕もそういったお店にお世話になり育てていただいたのでとても複雑な思いです。

およそ20年前に大阪の百貨店に勤めていた事があり、その時代に比べお客様やサービスも大きく変化してきていると感じます。

そこで現代を生き残り次の一手を打てるようになるために、店舗販売している方に求めたい事があります。
それは「お客様を育てる」ということです。

高級なブランドや商品を扱うという事はブランドの歴史や品質の知識だけでなく、責任と対話力が重要です。

当たり前のことと感じる方も多いと思いますが、今まで支えていただいた年配のお客様への感謝はもちろんのこと、これからの若い世代のお客様との関係を築き、「育て、稼がせ、気持ちを豊かにする」事。
これができるお店かそうでないかは地方店では特に差ができます。

「お客様と話を合わせて楽しくお買い回りをしていただく」という時代はほぼ終わっています。
どこのお店も若い層を引き込もうと必死です。
ただそれだけでは生き残っていくことはできません。
これからの利益増策で大きな打ち出しや予算がかけれない場合は時間をかけてでもお客様を「育て、稼がせ、気持ちを豊かにする」ことが重要になると思います。

この「育てる」という意味の重要性と難しさ、育てるにあたりまず何が必要なのかを考え従事していただきたいと思います。

新しい客層にもそういうお店を必要としていたり、お付き合いのしかたを知らない人が多くいます。
ブランドスタンスを伝える前に心からお客様に興味を持ち、何ができるかを考えて接してほしいと思います。

差し出がましい文になりましたが期待と願いをこめて書かせていただきました。

バトン

戦後、多くの起業家や企業戦士の頑張りにより、ここ数十年で生活は豊かに、便利になりました。
便利な生活を築いた人たちはその功績を誇り、バブルを生き抜き、骨太世代となりました。

次の世代は先人からの生き抜き方と慎重さ、向上心を持ち豊かさに質と安全性を取り入れた世代となりました。

その次の世代となる現代人はどうでしょうか?
安全なものがあふれ、生活に著しい不満もなく、ある程度の仕事があれば最低限の生活は保障される。

子供の頃、遊ぶおもちゃでさえ作るしかなかった時代から何でも安全で、飽和なくらい揃っている今の時代は、さらに便利なもの、新しものを生み出す一部の者と、それを使う大衆にわかれます。

苦労し作り上げてきた世代とはかけ離れた、ゆたかすぎる時代に生きる今の人たちは、これからの厳しい時代をどう生き抜いてゆくのでしょうか?

豊かさに不景気が加わると、雇う側は精鋭のみを雇い、多くの雇われる側の人たちの生活基準は、底を知らないほど落ち込むかもしれません。

先人は多くの素晴らしいものを与えてくれました。
感謝の気持ちを忘れず与えられるだけではいけない事を自覚して、次の世代に繋げられるような生き方を考えていきたいと思います。

バトン

戦後、多くの起業家や企業戦士の頑張りにより、ここ数十年で生活は豊かに、便利になりました。
便利な生活を築いた人たちはこれからの世代にはできるだけ苦労をかけないように、楽な生活ができるようにと頑張りました。

暮らしの中では介護で苦労した世代が同じ思いをさせないようにと「自分たちの面倒は自分たちでみる」と終活を視野に行動することで介護という経験を知らない世代が増えつつあります。

お彼岸やお盆も「お墓が遠くにあるから来なくていい」と子供に苦労をかけまいとする親心の結果、自分の先祖のお墓がどこにあるのかわからない、自分のルーツもわからない世代も多くなっています。

高齢化が進み年配の方でも元気な方が多い時代、子供も小さく共働きで忙しい若年世代が真の高齢化を前に「親の面倒をみる」という事はなかなかイメージし辛いのかもしれません。

忙しさや心の距離感から年に何度か親族で集まる回数も減り、田舎のない人も多いことから昔からある風習の意味を考えたり、自分が今どのような流れで存在しているかを考える余裕さえありません。 

先人は多くの素晴らしいものを与えてくれました。
感謝の気持ちを忘れず、与えられるだけではいけない事を自覚して次の世代に繋げられるような生き方を考えていきたいと思います。

元号が変わる今の日本の人

あと数日で次の元号が発表されるという三月末の現在、次の時代を生きる日本人はどういった傾向を持つ世代が多くなっているのでしょうか?

実は1980年度から始まっており、2000年後半頃から頭角を現した「ゆとり世代」
ゆとり教育により学力が低下した、挫折に弱く物欲もないとネガティブなイメージが強いですが、先にも綴った通り早ければあと5年ほどでハイブリッドな世代も出てくると想像しています。

とはいえ僕も日々イベントや催事などでゆとり世代と呼ばれる方々とやり取りをするとき、しっかりしているなと思う反面、儚さも感じることが多いです。

自分の20代の方がひどかったので続筆し辛いですが、、、

強いて言えば現代は「つもり世代」が多いと感じます。
仕事も人間関係も理解したつもり
ミスをしても謝ったつもり
自分はちゃんとできているつもり…

実感のない知識ならネットですぐに得られる時代、喜怒哀楽を体感したり壁にぶち当たったり、色々な物事に自分で体当たりする人が少なくなってきているように感じます。
脛の傷は恥ではなく年輪だと感じて生きていってほしいと思います。

残念な事にこの現象はゆとり世代だけがそうなのではなく若い世代を見て「これでいいんだ」と思った上の世代にも伝染していると思います。

若者だけでなく、目上の方まで広がるつもり現象が積もった先はどうなるのでしょうか。

間もなく次の元号へと変わりオリンピックや万博が控え、事実鎖国をしていられない日本。
気付けば自分も発症しているかもしれない現象に何とか対応していかないとと考えます。

ふと

先日テレビでこんな内容をやっていました。
満員電車の車内、座席が若い女性や老人とまではいかない方などで埋まっていて目の前の年配の人が座りたがっている。
一人のおじさんがそれに気付き席を立つと横から若い男性がその席にスッと座った。

この映像を見て誰が悪くてどうする事が正しいのかという事を話し合う。

ざっくりですがこんな内容でした。

ある人は横入りをした若い男性が悪いと言い、またある人は若い女性が悪いといいました。
しかし実は若い男性は腰を痛めており、若い女性は妊婦でした。
その後も討論は続き若い男女双方にはもっとわかりやすい「優先の主張」が必要だったのではないかという話になりました。

もっともだと思います、まずはそれをシステマティックにする政府が動かないなら民間の鉄道やバス、医療機関がマタニティーマークの他に「優先の印」を有効期間も視認できる状態で発行できるように動く必要があると思います。

何事も最初に変化を起こす事は大変だと思います。
すんなりいくかもしれませんが、色々な壁にぶちあたることもあります。
ただ行動を起こす事により何らかの結果は出ます。
結果的に一人も助かる人がいなかったとしても、(客観視しながら計画を立てれるなら)やる価値はあると思います。

海外からの旅行者が多い時代、見本となれるような仕組みを国をあげて作っていてほしいと思いますが、何よりも大事なのはみんなが席を譲りあう気持ちを持てることだと思います。

そんな環境を作れればなーと、テレビを見ながら青臭い事を考えていました。